ひーちゃんブログ

主に、私が気に入った音楽番組や歌詞について書いています。

大好きな歌手 松任谷由実(ユーミン) プロフィール・経歴・記録

みなさん、こんにちは。

 

私は、2022年に大好きになった歌手が2人います。

それは、MISIA松任谷由実です。

 

今回は、シンガーソングライターの松任谷由実ユーミン)について書いていきます。

 

私が調べられた範囲で、ユーミンのプロフィール、経歴、私がユーミンの曲に出会った経緯などを書いていきます。

 

内容が盛りだくさんになるので、少しずつお送りします。

 

よかったら最後までご覧ください。

 

 

 

 

 

プロフィール

名前:松任谷由実(まつとうやゆみ)

旧姓:荒井由実

愛称:ユーミン

曲を提供するときに使う別名:呉田 軽穂(くれだ かるほ)

出身地:東京都八王子市

生年月日:1954年1月19日

血液型:O型

星座:やぎ座

干支:うま年

家族構成:父、母、兄、兄、姉、ユーミン、弟

作曲家のデビュー年:1971年

代表提供曲:加橋かつみ「愛は突然に…」

歌手のデビュー日:1972年7月5日

デビュー曲:返事はいらない

結婚:1976年11月29日

結婚相手:松任谷正隆

歌声の特徴:聖マーガレット礼拝堂で聴いたバッハの『トッカータとフーガニ短調 BWV565』に衝撃を受け、涙が止まらなくなり、声がパイプオルガンのような声になった。

愛称(ユーミン)の由来:14歳のころ、当時親しかったシー・ユー・チェンが荒井由実を「ユーミン」と呼び始めた。

 

 

 

 

経歴

生い立ち

1954年1月19日、東京都八王子にある荒井呉服店の次女として誕生した。

110年 装う喜び一人でも多く 八日町 荒井呉服店 | 八王子 | タウンニュース

6歳からピアノ、11歳から三味線を習っていた。

 

1966年4月、立教女学院中学校に進学。

中学時代には、当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていた。

 

またフィンガーズの追っかけもしていた。

のちに同レストランに集まったアーティストからアルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。

 

立教女学院高校に進学し、当時「(立教女学院の)パイプオルガン、プロコル・ハルムに強い衝撃を受けた」と語っている。

 

また高校にかけては、御茶の水美術学院に通い、年長の同窓生の影響でアルチュール・ランボージャック・プレヴェールを愛唱、多大な影響を受ける。

 

14歳のころ、当時親しかったシー・ユー・チェンが荒井を「ユーミン」と呼び始め、これがのちに愛称として定着する。

 

デビュー

14歳で作曲を始める。

ピアノの弾き語りで録音した自作の曲を当時タイガーズに所属していた加橋かつみが聞き、自分で歌いたいと言う。

そして、加橋かつみが自分で作詞した曲に、ユーミンが作曲をして、「愛は突然に…」という曲が完成した。

 

ユーミンは17歳で作曲家デビューを果たす。

 

1972年4月、多摩美術大学に入学。

 

元々作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、1972年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。

しかし同シングルは数百枚しか売れなかった。

 

1973年11月に、キャラメル・ママらとレコーディングしたファーストアルバム『ひこうき雲』を発売。

 

TBSラジオの深夜放送番組「パックインミュージック」金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の支持を受けて知名度が上がり、1974年より本格的にステージ活動を開始する。

 

1975年10月発売のシングル「あの日にかえりたい」が、初のオリコンチャート1位を獲得、1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎える。

 

結婚、松任谷由実として活動

1976年11月29日、松任谷正隆と結婚をする。

結婚を機に歌手活動を辞めて曲作りに専念したいと考えていたが、松任谷由実と名前を変えて音楽活動を続ける。

 

楽曲提供の傍ら、1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースした。

 

また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立した。

 

1979年以降はコンサートの大規模化が始まり、本物の象を登場させた「OLIVE」、マジックを取り入れた「MAGICAL PUMPKIN」、エレベータを設置した「BROWN'S HOTEL」、噴水ショー「SURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った「水の中のASIAへ」など年々エスカレートしていった。

 

1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。

 

その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは、1997年発売の『Cowgirl Dreamin'』まで17枚連続でオリコン1位を獲得することとなる。

 

1980年代頃は、他者への楽曲提供も積極的に行っており、旧知の仲である松本隆からの依頼で松田聖子の「赤いスイートピー」の作曲を引き受けている。

 

引き受けるの際の条件として使用した変名が「呉田軽穂」である。

作曲家としてではなく名前(知名度)で選ばれる事を嫌ったためであったが、夫の正隆が編曲者として実名でクレジットされており、松任谷の作曲であることはすぐに知られるようになった。

 

以降聖子に対してシングル曲を次々と提供しヒットさせており、他者の楽曲提供の際にも呉田軽穂の変名を使うようになった。

 

バブル時代とそれ以降

1987年発売のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』が、78万枚の大ヒットを記録したことを皮切りに、翌1988年『Delight Slight Light KISS』は159万枚とセールスが倍増。

 

 

1990年発売の『天国のドア』では史上初のアルバム200万枚出荷を記録。

 

1991年発売の『DAWN PURPLE』に至ってはオリコン史上初の初動ミリオンを達成するなど、第三次ブームとも呼べる時期を迎えた。

 

以降、1995年の『KATHMANDU』までの80年代後半から90年代半ばにかけてオリジナルアルバム8作連続のミリオンセラーを獲得する。

 

1985年以降の「バブル景気」時代人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌と挿入曲を担当し、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれた。

 

1990年代に入ると精神世界や民族音楽にも着目し、「満月のフォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「砂の惑星」「春よ、来い」「輪舞曲」などを作曲する。

 

1993年、TBS系列ドラマ『誰にも言えない』主題歌となった「真夏の夜の夢」はシングル初のミリオンセラーとなり、翌1994年発売の「Hello, my friend」「春よ、来い」も続けてミリオンセラーを記録、同年末発売のアルバム『THE DANCING SUN』はオリジナルアルバムとして自己最高の217万枚を売り上げるなど、第四次ブームと呼べる年となった。

 

1996年、荒井由実名義でのセルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。

 

また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。

このライブ・アルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数か月遅れた。

 

これ以降、恒例となっていた活動サイクル(冬のアルバム発売〜夏までツアー)が若干緩やかになった。

 

1998年には松任谷由実時代以降のベスト・アルバム『Neue Musik』が380万枚を売り上げ、自身が発表した全作品の中で最大の売上を記録している。

 

1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートしたコンサート『シャングリラ』を開催。

同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。

『シャングリラ』3回の総制作費は120億円以上、観客動員数は100万人。

 

2000年代~近年の活動

2005年、NHK紅白歌合戦(第56回)に松任谷由実 with Friends Of Love The Earth名義で初出演。

それ以前は「家でおせち料理を作るから」という理由で出場を辞退していた。

 

2011年春には、NHK『SONGS』の企画で新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」、2012年3月には「(みんなの)春よ、来い 2012」を配信。

収益のすべてが東日本大震災の被災地へ寄付された。

 

2012年、荒井由実時代・松任谷由実時代を通じたベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』がオリコンチャートにて初登場1位となり、累計でのCDアルバム売り上げ枚数が 3,000万枚を突破、ソロアーティストならびに女性アーティスト初の記録となった。

 

2012年、2014年、2017年には帝国劇場にて『ユーミン×帝劇』を開催。

 

2013年春の叙勲で紫綬褒章受章。 同年、「岩谷時子賞」を受賞。

 

2015年、石川県観光ブランドプロデューサーに就任。

 

2016年には38枚目のオリジナルアルバム『宇宙図書館』がオリコンチャートにて初登場1位を獲得。

 

2017年、東京芸術文化評議会委員に就任。世田谷区名誉区民。

 

2018年にはベストアルバム『ユーミンからの、恋のうた。』がオリコンチャートにて初登場1位を獲得。

 

また同ベストアルバムとともに、前ベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』が8位にランクインし、ランキングトップ10に2作同時ランクインすることとなった。

 

2018年9月には、荒井由実時代を含めたほとんどのアルバムとシングルのサブスプリクション配信が開始された。

 

2019年8月23日、公式YouTubeチャンネルで歴代ミュージック・ビデオの内、33作品が公開された。

 

2020年12月1日には、4年ぶりのアルバム『深海の街』を発売し、2021年9月30日からそれに連動した全国60公演に及ぶコンサートツアー『深海の街』を開催した。

 

2022年10月4日には、デビュー50周年記念としてベストアルバム『ユーミン万歳!』を発売。

オリコンチャートにて、 2週間連続1位を達成。

 

これにより、自身の持つ「ソロアーティストによるアルバム1位獲得作品数」における歴代1位記録を25作に更新し、オリコン史上初となる 1970年代から2020年代の6年代連続でのアルバム1位獲得を達成。

 

また「アルバム1位獲得最年長アーティスト」記録において、歴代で2位、女性アーティストとして歴代1位となった。

 

2022年、シンガーソングライターとして史上初となる文化功労者に選出。

 

 

 

 

 

オリコン記録

アーティスト総売上(歴代8位の4004万枚)

 

アルバム総売上(歴代3位、ソロ&女性1位の3135万枚)

 

アルバム1位獲得数(歴代2位、ソロ1位の25作)

 

アルバム1位連続獲得年数(歴代1位の18年)

 

アルバム1位獲得最年長記録(歴代2位、女性1位の68歳9か月「ユーミン万歳!」)

 

アルバムTOP10獲得作品数(歴代2位、女性1位の50作)

 

アルバム年間TOP10獲得作品数(歴代1位の20作)

 

アルバム年間TOP10連続獲得年数(歴代1位の14年)

 

シングル同時TOP100獲得作品数(歴代2位の16作)

 

10年代1位獲得数(歴代1位の6回〈1970・1980・1990・2000・2010・2020年代〉)

 

史上最長キャリアでのアルバムミリオン突破(歌手キャリア45年11ヶ月「日本の恋と、ユーミンと。」)

 

アルバムミリオン獲得作品数(歴代3位、ソロ1位の10作)

 

日本人アーティストとして初めてのアルバム200万枚突破:天国のドア 

 

オリコン史上初のアルバム初動ミリオン:DAWN PURPLE

 

歴代アルバム売上15位:Neue Musik

 

アルバム年間1位獲得作品:Delight Slight Light KISS(1989年間)、LOVE WARS(1990年間)、天国のドア (1991年間)

 

女性最多となるアルバムミリオン「通算10作」、アルバム首位「通算25作目」の記録を持つ。

オリコン史上初の「1970・1980・1990・2000・2010・2020年代」と6つの年代連続でアルバム売上首位を獲得(歴代1位)。

桑田佳祐 山下達郎 (2人とも1980・1990・2000・2010・2020年代)が保持していた記録を塗り替えた。

引用・参考元:松任谷由実 - Wikipedia

 

 

みなさん、いかがでしたか。

 

少しでもユーミンのことを知ってもらえたらうれしいです。

 

他の記事にもユーミンのことを書いているので、よかったら読んでみてください。